松坂大輔投手要する横浜学園とPL学園の高校球史に残る一戦!延長17回まで繰り広げられた熱戦として今もなを語り継がれていますよね。
そしてこの時PL学園で3番打者として活躍していたのが本橋伸一郎さんです!
そんな本橋伸一郎さんの経歴を見ていきましょう!彼はなぜプロ野球に進まず現在は何をしているんでしょうか?
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本橋伸一郎の経歴やwikiプロフは?
さっきの報ステ
横浜高校 松坂大輔 PL学園 本橋伸一郎 pic.twitter.com/BweDLxfEhC— ゆうのす (@YS758) May 5, 2018
では、本橋伸一郎さんの経歴やプロフィールを見ていきましょう!
本橋伸一郎さんが野球を始めたのは小学校1年生の時。この時に父親の勧めで学童野球に入った事がきっかけだったそうです。
この学童野球で実力がメキメキと上達し、小学校5年生の時には名古屋東リトルリーグに入団しました。
小学校6年生の時には日本リトルリーグ野球選手権大会で3打席連続ホームランを記録。さらに中学3年生の時も日本少年野球選手権大会で同じ3打席連続ホームランを記録しました。
この活躍が認められてか、高校野球界の超名門・PL学園へと進学。ハイレベルな選手に囲まれながらも高校1年生の時には既に甲子園を経験しました。
高校3年生の時には3番ショートとしてレギュラーを獲得し、この時も甲子園に出場していますね。そして、松坂大輔選手が所属した横浜学園と延長17回という死闘を演じる訳なんです。
結局この試合は横浜学園が勝利し、この時の夏の覇者となった訳ですね。
その後、本橋伸一郎さんは日本大学に進学し、野球を続けました。しかし、大学卒業と同時に15年間続けた野球から引退。
2012年に地元の愛知県豊明市に戻る事となり、どうやら中学校で野球を教えながら整骨院を営んでいたそうですよ。
現在はスポーツマネジメント会社である株式会社ベンヌに就職し、時々ラジオなどもメディアにも登場していますね。
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本橋伸一郎にドラフト指名が無かった理由は?
松坂世代と呼ばれ沢山の注目選手がプロへと進んだこの世代。PL学園で3番打者として活躍してた本橋伸一郎さんは何故プロに進まなかったんでしょか?
おそらくこの理由は横浜学園とPL学園の試合の中にあると思います。
この試合もスタメンで出場した本橋伸一郎さんですが、8回付近からなにか違和感の様な物を感じ言い知れない不安に襲われたそうです。
その結果、彼は監督やチームメイトに交代する事を願い出たのですが、チームの主力だった本橋伸一郎さんはそのままゲームに出続けます。
そして延長17回…彼の不安は的中してしまうんです…
横浜学園が2アウト、バッター柴武志選手が打った打球はショート本橋伸一郎さんの元へ…
守備の名手と言わていた彼はこの打球をしっかりと処理しファーストへと投げたのですが暴投となってしまいました…
結局その次のバッターにホームランを打たれ試合は負けてしまったんです。
この試合は今もなを語り継がれる名勝負であり、当時は沢山の人が見ていたでしょう。この中で大エラーをしてしまった本橋伸一郎さんは当時の事をよく覚えていないとまで話しています…
その後、「エラーをした選手」というレッテルを張られ、大学時代にはイップスに陥ってしまいました。
実は大学4年生の時にプロからスカウトも来ていたそうなんですがこの誘いを断り最終的には野球から離れる事を選んだそうです。
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本橋伸一郎の現在は?
エラーが原因でその後、野球から距離を置く事となった本橋伸一郎さん。
しかし、2012年に地元豊明市に戻ると中学校の野球部を指導。現在はスポーツマネジメント会社である株式会社ベンヌで勤務していますね。
野球によって自暴自棄になっていた時期もあったそうなんですが、この時沢山の人に支えられて来たと語った本橋伸一郎さん。
その事がきっかけでこの様な経験をした自分だから出来る事を探し、最終的には故郷に還元する事を選んだそうです。
今もスポーツ関連の会社に務めているという事は今度は地元だけではなく、もっと広い地域にも情報を発信していきたいと思っているんでしょうね!
本橋伸一郎についてまとめると
PL学園野球部に在籍していた本橋伸一郎さんについて見てきました。
たくさんの注目が集まる超大舞台でエラーをし、これが原因で野球から離れてしまった本橋伸一郎さん。現在はこの様な経験を活かし、再びスポーツと向き合っています。
今後も自身の経験を活かしてイップスで苦しんでいる選手たちの助けになっていってくれるでしょう!
表舞台に出てくる事はなかなかないでしょうけど、彼の活躍を期待たいですね!
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選年月日:1980年5月25日
出身地:愛知県豊明市
ポジション:ショート